
この人の存在を、この本で知りました。
壮絶・・・の一語につきます。
一人用のテントの三分の一は空中に飛び出し、
上からは岸壁づたいにチリ雪崩が頻繁に落ちてきて、
テントを外に放り出そうとする。
さらにテントの中は雪だらけで何もかもが濡れ、
とても不快である。
また食事の支度やそのほかの細かい作業も大変だ。
なぜなら連日の厳しいクライミングのため、
指が傷つきソーセージのように膨れ上がり、
指先はささくれ立ってほとんどの指から出血しているからだ。
体中が酸欠だ。
金魚のように口をパクパクさせる。
一,二分だが、目が見えなくなった。
視神経が低酸素のためダメージを受けたのだろうか。
「まず偵察しよう」
「壁までのアプローチも結構やばいよ」
「さっきも冷蔵庫くらいの石が落ちていたし」
冷蔵庫って・・・
当たったらイチコロじゃないですか。
しかし、コウモリのようにオーバーハングにぶら下がり、
(註:オーバーハング=傾斜が垂直以上となり、
覆い被さっている岩壁の状態)
誤って石を落としても岸壁のどこにも当たらず
氷河までまっすぐに落ちていく様子を見ていると、
自分がビッグウォール・クライミングをしている幸せで
いっぱいになった。
タイプ・ミスではありません。
「恐怖」じゃなく「幸せ」でいっぱいになる人なんです。
著者は、テレビ局から取材依頼がきたとき、
一切お金の援助は受けないかわりに、
アタックするかどうかは自分が決めることを約束してもらいます。
コンディションによっては、
山を見ただけで中止することもあり得るわけだ。
しかし、現実には、いつもの自分とは明らかに違い、
カメラを意識していたのだった。
これほどの人でも揺れてしまうんですね。
著者の文章には正直さがあふれ出ています。
ときには、ここまで書かなくてもいいのでは、というくらいに。
○○を見た瞬間に止めればよかった。(中略)
何よりも未踏の巨峰に対する汚い野心が、
ぼくを上に向け登らせてしまった。
「未踏のルートを制覇して名を残したい」という気持ちは、
多かれ少なかれ誰にでもあるものだと思っていました。
しかし、それは間違いでした。
著者はそれを「汚い野心」と自らを戒めます。
2002年、ギャチュン・カン(7952m)北壁登頂後、
悪天候のなか奇跡的に生還するも、その代償は大きく、
著者は手足合わせて10本、同行の夫人にいたっては
18本の指を失うことになります。
このときの手記が、泰史氏からはもちろんのこと、
妙子夫人の側からも書かれていて、非常に興味深いです。
リハビリを続けながらも、
もう全盛期の頃には戻れないかも知れないことを
筆者は知っています。
しかし、どのようなかたちであれ、
山登りは一生続けていくと宣言しています。
あとがきで著者は、自分のことを
「心の底から幸せな人間だと思っています」
と書いています。
名声を追いかけて登ってきたのではない、
ただ好きだから登ってきた。
そんな人だからこそ、このような境地に
達することができるのだと思いました。
森を抜けると天国へ出た。
雲の間から顔を出した太陽が、
軽やかなピンク色をしたソバ畑の絨毯を照らしていた。
これほど花を美しいと思ったことがこれまでの人生であっただろうか。
座り込み、顔を近づけ、花をひとつひとつよく見ると、
小さな昆虫がとてもかわいらしく歩き回ったり飛んだりしている。
ここではすべてが生きていた。
意味など考えずに、懸命に生きている。
何だかわからないけれど嬉しく感じ、
僕は再び立ち上がると足を引きずりながら歩き始めた。
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【目次】
はじめに
第1章 八〇〇〇メートルの教訓 - ブロード・ピーク
[コラム] 山登りで心配をかけ、山登りで親孝行 - 両親
第2章 ソロ・クライミングの蘇生
- メラ・ピーク西壁とアマ・ダブラム西壁
[コラム] クヌギの木と柿の木 - 結婚
第3章 ソロの新境地 - チョ・オユー南西壁
[コラム] 束縛されない時間と空間 - 生活
第4章 ビッグウォール - レディーズ・フィンガー南壁
[コラム] バラエティに富んだ人生のスパイス - 仲間
第5章 死の恐怖 - マカルー西壁とマナスル北西壁
[コラム] 山で死んでも許される登山家 - 死
第6章 夢の実現 - K2南南東リブ
[コラム] 理想のクライマー - 夢
第7章 生還 - ギャチュン・カン北壁
あとがき
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【著者紹介】 山野井泰史 (やまのい・やすし)
1965年4月21日、東京生まれ。
単独、または少人数、酸素ボンベを使用せずに、
難ルートから挑戦しつづける世界的なクライマー。
【関連書籍】

「ソロ―単独登攀者・山野井泰史」 丸山直樹・著

「白夜の大岩壁に挑む―クライマー山野井夫妻」 NHK取材班・著

「凍」 沢木耕太郎・著
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